イスラエルの犬飼いたい子どもがすごい

犬のイメージ

こないだ何気なくテレビを見てたら、

「子どもが犬を飼いたい」

っていうベタな状況のドキュメンタリー?をやってたんです。ただ普通と違うといえば、イスラエルのご家庭の話だったんですよね。

私の知ってる犬飼いたい論争と違う

小学生ぐらいのお兄ちゃんが「犬を飼いたい」ってお願いして、パパはなにかと理由をつけて「ダメだ」っていう。どこの国でも、似たようなことをやってるんだなぁって思いますよね。

ところがどっこい、これがぜんぜん違うんですよ。

私が知っている日本のご家庭での「犬を飼いたい論争」といえばこんなんです。

犬飼いたい論争のパターン1:言いっ放しパターン

子ども「犬かいたーい」

親「ダメ」

子ども「犬かいたーい」

親「ダメ」

子ども「犬かいたーい」

親「ダメ」

子ども「犬かいたーい」

親「ダメ」

(以下8987回繰り返し)

先に折れた方が負けです。

犬飼いたい論争のパターン2:小さい生き物で誤魔化せパターン

子ども「犬かいたーい」

親「うーん、じゃあハムスターとか小さい生き物で練習しようか」

子ども「うーん…まぁハムスターでいっか」

という「お前、命の重さは平等とかどの口でほざくんだ」と親に怒鳴りつけたくなるヤツですね。こうやって子どもは本音と建前を学ぶのです。

犬飼いたい論争のパターン3:とりあえず飼っちゃえパターン

子ども「犬かいたーい」

親「おっし、とりあえず飼うか」

親も飼いたかったパターン。軽いノリで飼われた犬がちゃんと世話されればいいですが、その場のノリでペットショップで飼われた動物が、その場のノリで保健所に連れて行かれるというのもよくある話なので、良いケースと良くないケースに分かれそうです。あと、せっかく子どもが本気で親と交渉する機会でもあるので、親的にはゴネる必要がなくてもゴネてみてもよさそう。

なんか違う、すごい違うイスラエルのご家庭の「犬飼いたい」論争

こういう勝手なイメージを持っている「犬飼いたい論争」なのですが、イスラエルの坊やはちょっと違ったんですよ。

まずもってゴネない。父親は犬を飼うことにまったく乗り気じゃないのですが、その父親に対して「飼いたい飼いたい飼いたい飼いたい飼いたい飼いたいぃぃぃぃぃ!!!!」と手足をバタつかせたりしません。

子ども「どうして飼っちゃいけないの?」
父「家具を傷つけられたら困るだろう」
子ども「そうはならないよ。ぼくがきちんと躾けるからね」
父「いいや、お前は犬の世話の大変さを分かってない。きっと途中で投げ出すだろう」
子ども「そんなことないよ。きっと大丈夫さ」
父「言葉ではなんとでも言えるさ」
子ども「じゃあどうしたら証明できる?」

とまぁこういう具合に父親から「飼えない理由」を聞き出し、対策を提案し、という交渉を延々と続けるわけです。大人かよ!

そして交渉で聴きだした情報をもとに、坊やは犬の訓練センターに行って犬の調教をしばらく手伝い、世話を投げ出さずにできることを証明するという手段に出ます。いやもうホントさぁ…なんなの?大人なの?大人だろ?

来るべき犬飼いたい論争に備えよ

イスラエルの坊やがたまたまめちゃくちゃ頭がいいのか、テレビだからドキュメンタリー風なだけで脚本があるのか、それとも日本の命の扱いについての教育がひどすぎるのかはわかりませんが、私もいずれ来るべき子どもとの「犬飼いたい論争」では子どもにきちんとした対応ができるよう、日ごろから考えておきたいと思った次第であります。

ちなみに超余談ですが、イスラエルではペットショップで犬を買うわけではなく、訓練センターとか保護センターみたいなしかるべき施設から譲り受ける、という形で犬を家に迎えるそうです。

ペットショップで愛玩動物を売り買いするという、戦前からまったく進歩してない日本人の命に対するライトな考え方が大嫌いな私としては、そういう仕組みが羨ましいと同時に、いい加減日本でも法律でペットショップを禁止して欲しいと思わずにはいられない感じです。

じぃーまでした。