【雑感】子どもに夢を追いかけさせたくない
娘がすくすく大きくなってくれているので、そろそろマジメに考えないといけません。「大きい夢をもって、大人になったらそれを実現しましょうね」という、私が子どもの頃に受けてきた謎教育を子どもにも施すべきか否かという問題です。私がこの「夢を持とうね」という教育を疑問に思っている理由は以下の4点です。
- 夢=職業(お金を稼ぐ手段)という図式がおかしい。
- 子どもが知ることができる職業は少ない=夢の選択肢は狭い
- 「子どもがやりたいことを自分で見つける」というのは幻想である。
- 別に夢なんて無理して叶えなくても幸せになれる。
1.夢=職業(お金を稼ぐ手段)という図式がおかしい。
前にもどこかに書きましたけど、夢というのは別に職業である必要はないわけです。なぜか学校で「将来の夢は?」と聞かれたら、「消防士さん」とか「お花屋さん」と答えないとぶっ飛ばされるかやり直させられるものですが、夢なんて「なんとなく誰かの役に立ちたい」とか「まいにちフォアグラが食べたい」というのも充分に夢であるはずなのです。
夢=職業みたいな教育をしてしまうと子どもの自由な発想そのものを奪ってしまうし、その職業に就けない=不幸みたいなよくわからない勝手に自滅した雰囲気に突入してしまうかもしれません。別に夢を叶えなくてもいいんです。生きてるだけで丸儲けです。就職活動に失敗したっていいじゃないですか。
2.子どもが知ることができる職業は少ない=夢の選択肢は狭い
そもそも子どもが知っている職業って少ないですよね。警察官、パン屋さん、漫画家、お花屋さん…どれも自分の生活の中にしか登場しないものです。そんな少ない選択肢の中から、無理やり夢を見つけるとか憧れるとかいう必要はないと思います。世の中には一生知ることもないような職業が多い、というかたぶんほとんどそうです。どのみち何がしかの手段でお金を稼ごうと思ったら色んな職業の人と出会うのですから、子どもの頃に無理して憧れる必要はないじゃないですか。変に実現が極めて困難な職業(アイドル、芸能人、漫画家、小説家…)に憧れて苦しんだら大変ですよ。もっとゆるゆるいこうぜ。
3.「子どもがやりたいことを自分で見つける」というのは幻想である。
あなたのやりたいことをやりなさい、っていうのは子どもの意志を尊重しているようで、けっこう投げっぱなしな話だと思います。だってやりたいことなんてわかんないじゃないですか。私なんて今でもよくわからないですよ。分からないから雑貨屋の店長とかやっちゃうわけですよ。どんな仕事も、一生懸命やってみれば意外(?)と楽しいものです。今の働いているお父さんはほとんどがサラリーマンで、子どもに働いているところなんて見せることがありません。戦前はサラリーマンなんてものがなくて、みんな自営だったわけで、日頃から親父の働く背中を見て育ったりしたらしいです。それで「あんな親父にはなりたくない」とか、「親父みたいな○○職人になりてぇ」と憧れたりするわけですよね。子供の頃から働くお手本を見ているから、やってみたい職業ややりたくない職業がざっくりとイメージできます。今の子どもにそんな経験ができるでしょうか。働くことにイメージを持てるでしょうか。まぁウチは家で仕事してるからできるかもしれませんが…一見遊んでるだけだし…う~ん…
4.別に夢なんて無理して叶えなくても幸せになれる。
実際、夢なんて実現しなくても幸せになれるんですよね。そりゃそうですよ。人間は本来、寝て食って遊んで、時々誰かの役に立てれば概ね幸せになれるはずなんです。恋人がいないと幸せになれない、恋愛もしたことない俺なんてゴミクズだ…みたいな考え方と一緒で、夢を持ってそれを実現しないと不幸だぜ、という考え方はとても辛い。別に恋愛したことなくても毎日幸せに過ごすことはできるし、夢なんて叶えなくても適当に人生は楽しめます。もちろん夢に向かって前進する姿勢はとても美しいですけどね。
で、どうするか
さて、こんな感じのことを娘に教育したいと思うのですが、どうやったら上手く説明できるでしょうか。正直、長々書いた上の文章でもうまく説明出来ているとは思っていません。だって文章下手だもん。どのみち学校で
「将来は春巻きを包むのが上手になりたいです」
「なるほど料理屋さんになりたいのね?」
「いいえ、春巻きを包みたいんです。上手に」
「中華料理屋さんよね?」
「いいえ、職業は公務員がいいです」
「」
みたいな会話を学校で繰り広げて職員室に呼ばれることになると思うので、まずは学校向けに表面的な回答をすることと、裏で自分なりの考えを別に持つことを教えるべきでしょうか。それは難しいか。とにかく適当に幸せに生きていこうよ。ホント意外と大丈夫だから。
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