喫煙者に捧ぐ何か
タバコをやめて二年経ちました。
最近は、本当にタバコが苦手になりました。試しに軽いタバコを吸えば気持ちが悪くなるし、近くで何本も吸われると、副流煙だけで具合が悪くなります。
服や髪についたタバコの匂いにも敏感だし、居酒屋に行った後は必ずシャワー浴びて寝ます。
私の記憶が確かなら、禁煙する前、いやタバコを吸い始める前、もっと幼い頃だって、こんなにタバコが苦手ではありませんでした。
子供の頃、父の体に染み付いたタバコの匂いを、小さな私は嫌いではなかった。むしろ好きだったはずなのに。
どうしてこんなにタバコと私の距離が遠のいてしまったのでしょう。
喫煙という行為、そこには確かに美しさとか楽しさがあると思います。
会話をする時、自然な間を作ってくれる。落ち着かせてくれる。
色んな銘柄を試すのも楽しいし、自分で紙巻きを作ったり、パイプに詰めてもいい。楽しみ方は自由で、そこには完成された嗜好品の楽しさがありました。
大学生の時、パイプがこの上なく似合う、イカした教授がいました。
アラブの大富豪みたいなヒゲを蓄えて、頭は綺麗に禿げ上がった、恰幅のいいおじいちゃん先生。
一番遅い時間の授業、人影もまばらな学内、五人しか生徒がいない小教室にいつも先生は遅れて来ます。
ちょっとだけ待ってくれ、と言って先生は、アンパンをひとつ急いで食べる。凄いスピードでアンパンを胃袋に収めると、今度はのんびりとパイプを取り出します。
教室は禁煙だけどね、と言って先生はパイプに火をつけます。(アチチ、と言いながら、100円ライターで火をつけていました。パイプならマッチの方が良いはずなのに。)
禁煙の教室で甘い煙を吐き出す先生は本当に自由で、無性に憧れたものです。
先生はまだ大学一年生で未成年の私たちの方を向いて言いました。
「君たちは吸わないのかい?」
…
今、私の周りでタバコを吸う人間はほとんどいなくなりました。
彼らはみんな、隠れるようにタバコを吸います。私も禁煙する前は、同じようにしていたと思います。
タバコっていうのは、自由で、格好良くて、楽しいものであったはずなのに。
私も楽しんで、助けられて、憧れていたはずなのに。
私とタバコの距離は広がるばかり。
世間とタバコの距離も広がるばかり。
タバコは、憧れた大人はどこに行ってしまうのでしょう。
シャワーを浴びてタバコの匂いを落とした後、なんだか虚しくなりました。
photo credit: Hamed Parham via photopincc
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