娘が白血病になって7ヶ月ぐらい経ったのでまとめ

子ども

娘が白血病になりました。

2015年11月〜12月初旬 初めての入院〜血球貪食症候群という診断

11月初め頃、保育園から電話があり、慌てて娘を迎えに行く。朝は普通に元気だったのに高熱が出たということ。この日は解熱剤だけもらって帰宅。近所のかかりつけ医は診察5秒がウリである。

この後、数日様子を見ても熱がまったく下がらないので、大きな病院を受診する。血液検査の結果、

「命が危険な状態であること」
「今すぐ入院が必要であること」

が発覚。突然の事態に、とにかく混乱する。自分の余命を宣告されたってこんなに混乱しない自信がある。それぐらい混乱した。あまりにも混乱したので、この頃の記録や記憶は少ない。高熱と薬で錯乱する娘を押さえつけたり、点滴が外れて血まみれになったり、言葉が達者な娘が酩酊したように支離滅裂なことを、ろれつが回らない舌で喋り続けて恐怖したのは覚えている(深夜に真っ暗な病室で子どもがキャキャキャと笑い出すのは、かわいい我が子であっても不気味だ!)。

とにかく初めての入院生活は長く感じた。恐ろしく辛い入院生活であった。

終わりが見えないし、
入院生活にも慣れていない。
娘は錯乱している。

雑貨屋の仕事も続けていたので、危うく過労でこちらが死ぬところであった。事実、この頃にたまたま私を路上で見かけた知り合いは、「ものすごく疲れた顔をしていた」と言っていたそうである(あまりにアレなので声をかけられなかった…)。

ちなみにこの時、娘の病気は白血病ではなく「血球貪食症候群」だった。

入院してから1ヶ月、表面上は元通りに快復した。この後は月に1度、外来を受診して様子を見ることになった。

この時の病気が本当に血球貪食症候群だったのか、それとも白血病だったのかは実のところ今でも不明である。とはいえ、全然関係ないということはあり得ないので、最初から白血病だったか、血球貪食症候群が引き金になって白血病になったかのどちらかである。正直、「これって誤診じゃねーの?」と疑わなかったかといえば嘘になるが、その辺りは後日きっちり説明してもらったので気にしていない(でもあの説明の時、医師は万全の体制で、しかも時間に遅れて説明を始めたので、相当に怪しかったような気がする)。

2015年12月〜2016年2月初旬 退院、つかの間の日常

年末年始は平和だった。

無理させず、あまり外出もせず、のんびりしつつ、月に1度の検査を受けるだけ。

娘も機嫌よく、普通に過ごしていた。

2016年2月〜悪夢再び

1月頃から、娘が手や足に痛みを訴えるようになり、形成外科などに診てもらうが異常がない。入院していた病院にでも受診したが、やはり異常なし。

そんな2月初めのある日、また娘が高熱を出す。数日はかかりつけ医に診てもらって様子を見るが、ある日ひきつけ(熱性けいれん)を起こしたので、救急車で搬送。そのまま入院していた病院で診察を受けるが、特に問題なしということで、解熱剤を処方されて帰宅する。この時、月末に予定していたいつもの検査を週末に早めてもらう。

都合2回も入院していた病院で受診したが、いずれも「様子見」「異常なし」ということだった。結論からいうと、この時の医者の診断はミスである。それも命に関わるミス。今では問題ないので結果オーライではあるが、もしこの時のミスで娘に問題があれば、出るとこに出ていた可能性が高い。

なぜならこの時の高熱も、手足の痛みも、すべて白血病が原因だったからだ。血液検査を1度でもしていれば、すぐにわかった。そして、その予兆は11月からあって、カルテにもしっかり記録されていたのだ。なのに一度も血液検査をしなかった。こんなの医療ミス以外の何物でもない。まぁ結果オーライだが。

とにかくこの後も高熱にうなされながら耐え、少し日程を早めた「いつもの検査」の際になってようやく「娘が死にかけていること(2回目)」が発覚した。

病院がちゃんと検査をしてくれていれば、娘が苦しむ期間をもっと短くできたし、命の危険も減らすことができたのに…。そもそも私が次回の診断を早めることを提案していなかったら、最悪の事態になっていた可能性が高い。これ以来、医者の言うことは常に疑ってかかるべし、と肝に銘じている。気をつけよう。

2016年2月~2度めの入院生活、始まる

また長い入院生活の始まりである。

娘の病名は最終的に「リンパ性白血病」というものらしい。治療方法は投薬である。寝不足で、娘が苦しんでいるのを眺めながら、最低でも1年は入院、その後も1年は通院する。長い。

ただし、具合が良くなったり悪くなったり、元気だったり元気じゃなかったりを繰り返しながら、体調が許せば時々外泊することもできる。

入院してすぐ、娘は外科手術でチューブを身体に埋め込んだ。鎖骨の下からビニールのチューブが生えている姿は、慣れないうちは痛々しくて涙を誘ったが、今ではすっかり馴染んでしまっている。固定用のテープに担当の看護師さんがアンパンマンのキャラクターを描いてくれるので、娘としてもお気に入りである(ちなみにこのお絵かきはとてもクオリティが高いが、すべて勤務時間外にボランティアでやってくれている…感謝のしようもない)。このチューブのおかげで、ほとんど毎日やらなければいけない点滴、注射、採血の度に針を刺さなくてもよいので、娘のストレスは相当に軽減されている。医療ってすごい。

入院して初めの頃はやはり病院での生活が辛く、眠れず、娘の治療も苦しく、先は長すぎて、親のほうが死にそうな日々が続いた。

いかにポジティブ思考の私でも、さすがにこれは辛い。

今回ばかりはさすがに仕事の一部を諦めて、雑貨屋業を休止することにした。無理して死ぬよりはずっといいし、雑貨屋のために死ぬというのはちょっと笑える。

また下の子がひとりいるが、この子の保育園の入園は絶望的になった。

いわゆる「保活」だが、兄弟がすでに入園していると点数がアップし、入園させやすい。うちは妻がこの辺りを完璧に計画してくれていたのだが、すべての計画は娘の病気で水の泡となった。諸行無常。どう考えても子どもが難病になったほうが保育園が必要になると思うのだが、これは点数アップにならない。いつだって社会はマイノリティに厳しい。日本死ね!いや、死ななくていいから保育園入れて。

2016年6月はじめ(執筆時点ここ)

辛い入院生活も、3ヶ月もすると慣れた。逆にいうと、完全に慣れるのに3ヶ月かかった。

しかし慣れた。超慣れた。

今では、家より病院で寝泊まりする方が落ち着くぐらいである。病院大好き。マジで。消毒液の匂いの芳香剤ってないの?

娘はまだ3歳なので、薬の副作用があまり強く出ないのもよかった。吐いた回数も少ないし、ぐったりした日も少なめだし、髪の毛だってまだ生えている(今後も抜けるけど)。

主治医の先生が途中で変わったのも、とても良い方向に働いた。というのも前の主治医は11月からずっと診てくれていたし真面目だとは思うんだけど、どうも事務的だし、あまり様子を見に来ることもなかった。

今の先生は毎日様子を見に来てくれるし、親身だし、相談もしやすく、入院生活がグッと快適になった。なんだかんだ言っても、やっぱり最後は人である…。

また今の先生は「できるだけ外泊(帰宅)させて、ストレスを減らす」という方針を取ってくれるので、5月の末から何度か娘を家に帰らせてあげることができて最高である。

人間というのは何でも慣れるもので、家に帰るより、病院にいたほうが親的には疲れない(ご飯作らなくていいし…)というのが目下の贅沢な悩みである…。

振り返ってみて

まだまだ娘の白血病は余談を許さない状況ではある。あるが、とにかく娘自身は元気なので、最近はすっかり心配するのを忘れがちである。

しかしまだまだ油断できないし、入院生活は続く。

今後も子ども、親ともに体調に気をつけて、長い入院生活を乗り切っていきたい。

また病気に際して、沢山の応援やお見舞いをいただいたので、この場を借りて感謝申し上げます。

で、消毒液の匂いの芳香剤ってないの?

じぃーまでした。