【雑感】知らないけど批判するひとびと

2014年4月7日

Meaw Meaw

【悲報】木下優樹菜が児童虐待・・・ 批判殺到wwwwwwwww

木下優樹菜さんが夜泣きする子供にイラついて暴言をツイートしたことに対して批判が集中するというお祭りがありましたね。

1日20時間ぐらいは0歳児と一緒に過ごしているハッタリ法人在宅ワーカー主夫的視点からいうとアレですね。

これ批判する人って、育児したことないですよね。

夜泣きは確実に辛い。コーラを飲んだらゲップが出るっていうぐらい確実に辛い。

夜泣きは本当にクソ大変です。1時間毎に起こされたり、一晩中泣かれたり、24時間目が離せないのに、寝ることも、抱っこしっぱなしで座ることもできないことも。こんなのが毎日続いたら、イライラしたり絶望したりするのが普通です。夜泣きを経験したことがある人なら、例のツイートにも心配こそすれ批判したりはしないでしょう。このお祭りに参加しちゃう人を勝手に推測すれば、こんな感じの人でしょう。

  • 育児したことがない。
  • 育児したけど昔すぎて覚えてない。
  • 自分の子供が神のように手のかからない子。
  • 育児したつもりになってるけど、実際は奥さんに99%任せきりのクソイクメン(※多い。 私は奥さんに99%任せてる自覚があるからクソイクメンじゃなくてうんこイクメンぐらいだと思う)。

そりゃあイライラしないで育児できたらいいでしょうけどね。それができないから育児なんですよね。このツイートに批判するっていうのは
綱渡りしてる人に「そんなフラフラするなよ!落ちるよ!フラフラ綱渡りする奴は死ね!」と批判する人か、アツアツのおでん食べてる人に「フーフーするなよ!早く食え!バクバク食え!熱がるヤツは死ね!」と言っているようなものです。無理なものは無理。

この件で批判されるとしたら、そういうネガティブな思いを誰もが閲覧できて、本人が特定できる媒体で発信したことでしょう(もちろんそれも本人の自由ですが)。あなたが「部長くたばれ課長の首もげろ」と思っていても、それをじゃんじゃんツイートしてはいけません。インターネットは怖いところです。

自分に置き換えられない悲しさ

なかなかパンチを打たなくて睨めっこばかりなボクシングの試合を見て、「もっと打ち合えよ!」と思うことがあります。でも、実際に自分がリングに立ったら、もっとパンチ打てないし、もっともっと見苦しい試合しかできないでしょう。ボクシングやったことないし。リングに立っている人の気持ちは、リングに立ってみないと絶対にわかりません。

自分も同じ状況を経験しないと、相手の気持ちにはなかなか立てないものです。そして、相手の立場に立って物事を考える、という小学校の道徳の時間ぐらいで習いそうな人類の基本動作を忘れてしまった大人のなんと多いことでしょうか。

育児の辛さも、リングの怖さも、想像力だけではとても補えない経験でしょう。相手の気持ちがわからないと、自前の正義を振り回して、薄っぺらい批判や建前をブンブン投げつけることになります。相手の気持ちを無視した正論は、子供の屁理屈と同じ。私もよく奥さんに、

「そんな正論聞きたいんじゃない」

と言われます。奥さんカッコいいです。何の話だっけ。

そうそう、なので最近多いネットの炎上ニュースなんかに対して自前の正義を振り回しそうになったら少し立ち止まって、相手の立場に身を置いてみたいものですね。相手の置かれた状況、気持ちなんてとても想像できないはずですから(赤の他人ですものわかるはずがない)、とりあえず批判したい気持ちはそっとそのへんに捨ててきましょう。

毎日会ってる人のことだって100%分かることはありえないのに、ネットの先にいる他人のことなんてわかるはずないですから。

※ 最近よくあるバカッター(お店の醤油差しを鼻に突っ込む)とか、300%明らかな犯罪ツイートなんかは、また別ですけどね…。

photo credit: Sergiu Bacioiu via photopincc